ピアノ教師の前に音楽教師であり、未来の人生を豊かにするための旗振り役。

2022年12月15日 22:47

ここ数ヶ月、懸念していることがあります。


よくピアノのテキストや、教材などを調べているせいか、SNSに広告のように上がってくる、多くの音楽教室がUPするビジネスアカウント。


あれは、フォローされていなくても、ビジネスアカウントとして一定の金額を支払うと、そのビジネスに関連すると思われるユーザーのタイムラインに優先的に上がるという仕組みになっています。


ですので、私の個人アカウント(現在非公開)にも、自然と多くのお教室のレッスン風景が流れてきます。


しかし。

たくさんの中で、「あ!素敵な教室だなぁ✨」と思うのは、たったの一件です。

その教室だけは、先生も子どももいつも笑顔。遊び感覚で、確かな技術を身につけています。



しかし、、、、




他のお教室は、残念ながら、子どもはロボットのよう。教師による「こう弾きなさい」という表現の強制。どの子が出ても弾き方が同じ。目標がコンクール。

確かに、英才教育的に技術を叩き込み、コンクールで賞などを取って、達成感を味わいながら、競争の世界で生きていく道も否定するつもりはありません。

でも、グランドピアノならいいの?アップライトピアノはダメなの?他にも練習の補助器具が必要?小さいうちからバッハが弾けなきゃダメ?、、、、

意味を知るよりもまず先に技術を叩き込んで、意味は後付け、という方法もあるのだと思います。よく幼児教室とかでも、漢詩を暗唱したりとかありますね笑



さて、うちの教室についてです。
前回の発表会では、とにかくお客さんが楽しめて、それで生徒さんも幸せを感じる、、、そんな会を目指していましたので、基本的には、変な背伸びはさせずに、等身大のレベルの曲を弾いてもらいました。もちろん、中にはちょっと難しい曲にチャレンジしたいという子もいますし、それはそれでしっかりと練習してくれて、頑張っていたと思います。
プログラムは、レベル順だとか、学年順だとか、そういうところにはあまり拘らず、聴いていて流れが良いか、だけを考えて組みました。

他にも、いわゆる日本の「音楽教室」とは違うアプローチをしていた部分は多々あります。

ですので、この教室の普段の様子などを知らずに、また、音楽とは?をよく理解せずに、日本独特の「ピアノのお稽古」「ピアノの発表会」「良い音楽」のような先入観や固定観念にしばられて発表会を観た方は、ほんの少数派とは思いますが、多少偏見の目で受け止めた方もいるようでした。

不思議ですよね、そういうことって、巡り巡って耳に入ってくるんです笑


もちろん、お褒めの言葉の方が数的には多くいただきましたし、視点が温かく、人間的なお言葉をたくさん頂戴しました。



ただ、「これが理解してもらえるだろうか、、」と、内心思いながら準備したといえば嘘ではありません。ですから、責任は一手に私が負うつもりで、生徒さんたちに恥をかかせないように、一丸となって頑張りました。


評価は聴衆によって様々だと思いますが、発表会後、多くの生徒さんに変化が見られました。


まず、講師と生徒の信頼関係がとても強固なものになりました。


保護者の方とも、心と心がより近づけたと思っています。


当日のお客様のあの熱い拍手。忘れられないです。なかなかあんなに熱のこもった拍手をもらうことって無いですから、子どもたちは幸せだったと思います。


また、譜読みの力が格段に上がりました。
発表会とはいえ、表現はあくまでヒントしか与えませんでした。自分で場面を想像したり、どうしたらその音色に近づくか、一緒に探りました。


そうです。まだ答えを私は教えていなかったのです。


けれど、子どもたちは、自ら「今の自分の音」を見つけて、人前で堂々と演奏しました。


みんな音色が違ったと思います。
身体の癖など、悪い影響を及ぼす部分はもちろん指導しています。それでも、なかなか時間のかかる子もいます。けれど、いつか必ずできる日が来ます。


私の周りのプロ演奏家でも、自宅ではグランドピアノでなくアップライトのままで、ホールで十分に活躍しているピアニスト、結構います。


また、独立してから、必ずぶつかるのが「コンサートでの集客」という問題です。

これに苦しんだことのないプロ演奏家はいないと思います笑


そして、皆、海外に学びに行ったり、様々なコンサートなどを見ながら、いつか気付くのです。

「温かくて楽しくて、演奏も安心して聴ける」そんなコンサートが出来るパフォーマーでなければずっとこのまだ、と。


そして、未来の演奏家たちには、旧来の古びた価値観や固定観念による凝り固まった音楽でなく、バリアフリーな演奏家になって、セレブだけのインスタ映えのためのコンサートではなく、市民全体に向けて、誰もが一生に一度くらい「あぁ、クラシックっていいなぁ!」って思ってほしい。

そう思って指導する若手や中堅が着実に増えていると実感しています。


私が1番音楽的に成長を感じたのは、大学3年生の時でした。それまでも順調な方だったとは思いますが、自分で表現を模索して考える、という作業にきちんと向き合った最初の経験でした。


これが早いのか遅いのかはわかりませんが、芸大に行っても、この経験を味わわないで卒業していく人もいるでしょうし、小さな音楽学校で、雷に打たれたような音楽体験を経験する人もいるでしょう。

そして、今、音楽の真髄に気付いて、なんて難しく、けれど魅力的で、どこまでもどこまでもベールに包まれて、様々な色をたたえて、演奏する度に、聴く度に、変化を続けていく、そして、学び始めに遅いも早いもない、という信念で、どんな個性の生徒さんとも楽しく向き合えるのは、間違いなく、チェコプラハでの音楽経験によるものです。



おそらく、ここでも固定観念さんたちは、イタリアじゃないの?ウィーンじゃないの?なんて思うかもしれませんが笑

モーツァルトもベートーヴェンもブラームスも、もちろんチェコにゆかりのあるスメタナやドボルジャーク、ヤナーチェクなど、名だたる作曲家が、チェコに住み、名曲やオペラを作ってきた歴史があります。


また、チェコはチェコ語を話すため、イタリア語やドイツ語は、第二、第三言語になるわけです。


東洋の日本に比べれば、文化はうんと近いですが、私が師事したプラハの芸大の声楽主任の先生も「イタリア語やドイツ語の発音を会得するのに苦労したのよ」と話していました。

ちなみに、その日は芸大の現役学生さんのレッスンも見学させていただいたのですが、やはり終始笑顔に満ちており、一生懸命だけど、楽しく、というスタンスは変わりません。


私が大学生の頃は、先生は絶対で、その日の機嫌が良いか悪いか、レッスン前に学生同士で情報交換し合う、なんてことをしている人もいました。

私が大学で師事した先生は、幸いにもそれほど気分に偏らず、いつも通常営業で指導してくださる方でしたので、あまりその辺での苦労はしませんでしたが、今になって思うと、なんてバカらしいことを話してたんだか、と思います笑



クラシックという伝統芸能ですが、指導法は日々研究されています。


私は、個人的なプロ活動から得た学びと、チェコから持ち帰ってきた、音楽の向き合い方、これらを融合させて、独自の方法で指導しています。



また、心理学や教育学という、ただ楽器専攻をしていただけでは学ぶことの出来ない、かつ、成長に欠かせない知識を、教育専攻というお陰で得ることが出来ています。


古き良きものは守り、新しい価値観にも柔軟に対応していく。

それがこの教室の在り方だと思っています。それにご賛同くださって通っていただいている生徒さんには、きちんと、音楽の楽しさ、難解さ、魅力、などを、「段階的に」身につけていってほしいと思っています。



信じてついてきてください!!



ロボットでなく、人間が演奏する音楽を楽しみましょう!!

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